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日本における神社の歴史

最終更新日 2024年4月22日 by modemee

「神社の歴史に興味がある」
「仏教と神社の関係を知りたい」
「神社本庁の役割について調べている」

日本には非常に古い時代から神社が存在していました。
由来となっているものは、古い時代に使用されていた祭壇です。
こうした祭壇が作られていたのは、磐座と言われていた場所です。
磐座とは古い時代の神道における、岩への信仰のことです。
信仰の対象となっていた岩自体も、磐座という名称で呼ばれていました。
日本で岩が信仰の対象になっていたのは、自然を崇拝する気持ちが昔から日本人の心にあったからです。
神事が磐座でおこなわれることもあり、神体である岩から神を降臨させて、祭祀をおこなっていました。

神体山とは

神を祀るための祭壇は、神体山にも作られることがありました。
神体山とは神道で神が宿っているとされる山のことです。
こうした山のことを霊峰と呼ぶこともあります。
日本にある霊峰の中でも特に有名なものは、中部地方にある富士山です。
山だけでなく、坂や峠などの場所も信仰の対象となることがありました。
こうした場所に作られていた祭壇は常設のものではありませんでしたが、時代の変化とともに常設の神殿として神社が作られるようになりました。
これが神社の歴史の始まりと言われています。
このような古い時代の神道の信仰の対象になっていた岩や山がある場所に、現在でも多くの社が建てられています。

人々の信仰の対象は神体から社に移っていく

こうした社が建てられるようになると、人々の信仰の対象は神体から社に移っていきました。
非常に古い時代に作られたものの中には、現在でも本殿が建設されていないものがあります。
また磐座だけが存在するものあり、人が入ることができない山や島の近くに拝殿があるだけのものもあります。
こうしたタイプのものは社殿が全く存在しないことが特徴です。
古い時代の東アジアにもその土地の神様などを祀るための建物が存在していました。
ですが、そうした建物は日本に建てられているものと異なっている部分もあります。
このような理由があることから、日本で社殿が作られるようになった理由として、さまざまなことが考えられています。
社殿が作られるようになった理由の一つとして考えられているのは、社会が発展したことです。
日本で社会が発展するにつれて、崇拝の対象が自然から人格を持った神様へと移ったことが、社殿が作られるようになった理由だと言われています。

仏教の寺院の影響を受けた

仏教の寺院の影響を受けたことも、社殿が作られるようになった理由の一つと考えられています。
貢ぎ物や武器などを貯蔵していた建物が存在して、それが社殿に変化したという説もあります。
国家が社殿を全国的に建設したという説もあり、さまざまな理由が推測されています。
古い社殿の場合、神体から近い場所に建物が建設されていることがよくあります。
新しく社殿が作られる場合には、分霊が祀られることもありました。
氏神を祀るために、新しい社殿が作られたこともありました。
社殿を建設する場所を選ぶ方法は多岐にわたっていて、きれいな場所を選んで社殿が作られることもあります。
縁起によって社殿を建てる場所を選ぶ方法も一般的です。
場所によっては、参拝がしやすい場所に社殿が作られたこともありました。
海の上に作られたものもあれば、山の頂上に作られたものもあります。

明治時代に神社と国家の関係が大きく変化

現代でも神社が建てられることがありますが、高層建築の屋上に神様を祀るために社殿が作られることもあります。
神社と国家の関係が大きく変化したのは、明治時代になってからです。
明治政府が作られると、近代的な制度に対応できるようにするため、新しい制度が作られました。
政府の中に関係する行政機関が作られ、神仏分離もおこなわれるようになりました。
神仏分離とは、神様と仏様を別のものと考えることです。
こうしたことが明治時代になっておこなわれたのは、それまでの日本では神様と仏様を同じものとして祀られることもあったからです。
明治時代以降に国家の祭祀となって以来、伊勢神宮以外の全国にある社殿は官社と諸社の二つの種類に分けられました。
官社には官幣と国幣があり、大中小社に分類されました。
諸社は府や藩、県などに分けられ、郷や無格に分類されたものもありました。
ですが、明治政府は江戸時代の藩制度を改めて新たに全国に県を設置したので、藩社へ列格されたものはありませんでした。
明治5年には、別格官幣社が決められています。
別格官幣社として最初に制定されたのは、古い時代の武将を祀った社殿です。
別格官幣社に選ばれたのは、国家に貢献した人物などを祀っているものです。
社殿は時代とともに数も変化しています。

まとめ

1898年に存在した社殿の数はおよそ20万でした。
それが1916年になると、およそ12万社になりました。
第二次世界大戦が終わると、連合国最高司令官総司令部は宗教法人令を制定しました。
この法令によって、他の宗教団体と同じような法人に変わっています。
第二次世界大戦の前に存在したさまざまな組織は一つになり、全国のおよそ8万の神社から成り立つ宗教法人になりました。

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